" 哲学 " を学んでもメリットは無い。ある条件下では。

 

「簡単に哲学を学びたい」という需要は一定あるかもしれない。そもそも、哲学に興味があるという時点でかなり変わっているし、社会的マイノリティだろう。いずれにせよ、その少ない需要に向けて何かを発信しようとは思わない。


最初に思いつくこと


「難しい話を素人でも分かりやすく解説すればコンテンツになるのでは?」という発想は、大抵、専門知識を持つ者が、最初に思いつくアイデアだ。実際、そういったビギナー向けのコンテンツは、Youtubeでも、書籍でも、巷にいくらでもある。


正直、発信者側としては、ビギナーに向けた要約系コンテンツという選択しかない。だって、大方の人間は哲学なんかに興味無いから。誰も「存在って何だろう?」というような馬鹿げた疑問は持たない。ただ、ちょっとインテリっぽさが欲しくて哲学を知りたい、というカッコつけ需要は多少ある。


その程度の需要なら、10分の動画をながら視聴して " 勉強になった! " とコメントに書くだけで消費される。そこから哲学に関心を持ち、実際に哲学書を手に取るといった人はかなり限られるだろう。つまり、需要のほとんどは、付け焼刃的な知識を与えるだけで十分満たされる。


結果的に発信者は、ざっくりとしたイントロダクションという形でしかコンテンツを発信できない。誰も「我思う故に我あり」について知りたいと思っても「神の存在証明」までは詳しく知りたいとは思わないからだ。


もう一つの需要


哲学に関して言えば、現代社会での利用価値は、ほぼ、皆無。キャリアアップの役にも立たないし、収入に直結することもない。履歴書に書くこともできない。故に、要約系として売るしかないのだが、もう少し哲学を広い範囲で捉えれば、他にも売り方はある。ただし、この資本主義社会で哲学をコンテンツ化するためには、何かメリットをアピールする必要が出てくる。そこで、自己啓発という話になる。


つまり、生き方とか、ストレスとか、人間関係とか、自己啓発として売るなら、古き賢者の知恵から役立つ何かを学べるかもしれないという淡い期待感を持たせることは可能。歴史上の権威ある哲学者の名を借りれば箔が付くし、何となく説得力がある感じを出せる。


商品化された " 自己啓発としての哲学 " 要するに、それは、哲学が生き方に役立つからでも、ストレスフルな現代社会を生き抜けるからでもなく、単にビジネスとしてメリットが無ければ誰も買わないから " 哲学 " と " 生き方 " を無理やりくっつけて売っているだけだ。


しかし、商業的に成功する事例もある。商業的成功と、それが、実際に役立つものであるかは、また、別の話だ。SNSでバズさえ起こせば、どんなに中身の無い本でも売れる世の中だ。求められているのはブランディング、消費のしやすさ、広告とインフルエンサーによる拡散。


カジュアルな哲学


誤解を招かないために、一応、言っておこう。私は「商品化された哲学なんて、哲学じゃねぇ!」と叫びたいわけではない。それは " 商品 " であって、そこに何かしら役立つ情報があり、それに対する需要があり、誰かがそれを買う。そういったカジュアルな形の哲学があっても全く異論はない。事実、私も哲学関連の漫画をいくつか持っている。いきなり哲学書を読むことがハードルが高いと思えば、漫画で何となく概要をつかみ、ハードルを越える準備運動をするといったことはある。


では、何が問題なのか?


カジュアルな哲学を自身の人生を豊かにするために利用することは問題じゃない。問題は、何が " 豊か " なのかに気づけないことだ。つまり、商品の外側に " それ " がある。


言い変えるなら、本来、哲学は資本主義の外側にあるものであって、資本主義の中で消費されるものじゃない。外側から資本主義を監視するための別の視点であるべきだ。


右を向いても左を向いても、インプレッションや、ページビュー、フォロワー数、バズの規模が全ての指標になり、大多数に注目されれば存在価値を認められ、そうでなければ市場から消える。商品価値こそが正義であり、信じるべきものであり、選択すべき生き方であるとすれば、それは何かが狂っている。


哲学の役割


哲学の基本的役割とは、視点をフラットな地点に戻すことだ。資本主義の渦中にあり溺れそうになっている人の手を引っ張って、そこから渦の外に連れ出すことだ。無論、そこは資本主義の外側なので金銭的メリットの無い世界。


だから、哲学は人気が無い。金銭的メリットだけが指標となる世界では。つまり、引っ繰り返せば、哲学が資本主義の中で売れないコンテンツであるというそのことが、資本主義の外側にそれがあるという証明でもある。


カジュアルな哲学を消費することに異論はないと言った。どうしたって誰かに主張を伝えるには、資本主義というベースの上でやり取りするしかないからだ。歴史的な古典哲学書も商品として書店に並んでいるわけだから。ただ、大して売れもしない哲学書が、現在においても細々と出版されている意味を理解してほしい。


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